てんかん持ち免許書切り替え実践編

警察に電話したり、運転免許センターに電話して
運転免許書の適性検査課で書類を貰い、これに記入してくれと
言われる。今どこの病院ん通ってますと聞かれたので
何々病院ですと答えた早速この寒い中バイクで
免許センターにきたのだが15分もまたされてしまった
結果ここでは書類を渡す事しかできませんっと会心の一撃
では前かよっていたRクリニックはどうでしょうかっと聞くと
最初てんかんで運ばれて入院していたのはどこですか?
っと聞かれたのでN徳州会クリニックですと答えたら
そこから診断書書いてもらってきてくださいっと言われた
そこでN徳洲会に行きそこで事情を話したらちょっと
待っていてください。と言われ20分も待たされたそこでは
受付の人が対応してくれたのだが20分は長すぎる(*_*;
そしたら今は精神通院はどこに行ってるのでしょうか?
っと聞かれたH愛病院ですっと答えたら、いまかよってる
病院じゃないとダメなんですよっととどめの一撃
詳しい事はH愛病院で聴いてくださいっと軽い返事
脳の病気なので脳神経外科から書いてもらうと思っていたが
もうどの課でもいいと思うようになってきた来週診察があるので
その時に先生に、はなしてくださいと言われる
俺が2年間の経過観察するのは先生なんですかっと聞いても
先生に直接話してくださいの一本口調完全になめられてます
今のままで適性検査を受けても問うると通ると思うがてんかんを
起こしてない証拠がないだから診断書を貰うのだが
めんどくさい事ばかりだ、みんな同じ道を渡ったと思うと気が滅入る
誰てもできるっと思う( *´艸`)
てんかん持ちがここへは何できたんです?っと突っ込まれえるから
気を付けてくれおれは1回あるその時には弟の車で着ました正々堂々正直に答えましたw
ほんとうは乗っちゃ行けないんだよそれは十分解ってるしかし足が無くなると
どこにでも出かけれないだからてんかん持ってても乗り続けるしかないんだ
断っておくが薬はちゃんと飲んでるそのうえでで運転してるのだ極力運転品用にはしてるんだが
バイクと車しか乗れないのを考えると本当に不便だ

てんかんの勘違い

今日飲み会でてんかんの話になったが、その中でてんかんについて思いっきり勘違いしてる人がいたので記事にしてみた
少し酒がはいっていたが(俺は飲めない&断酒)その人は「てんかんて遺伝するんだよな」っと言ってきたので
遺伝するのかしないのかまだ結論ははっきりしていないっと答えた
さらに頭にきたのはてんかん持ってると「社会的に抹殺されたのと同じだろ」っと言ってきたのだ
俺はこの「社会的に抹殺されてたのと同じだろ」の言葉にカチーンときた
しかしこの人の言い分を聞いてい見る事に興味を注がれた
「だって内地(本土)じゃ分かるけどここじゃもう働けないでしょ
車も免許書取り上げられ、これで人生半分終わったもおなじしゃねぇ
おまけに起きてる時いつ起きるのか分からないのじゃ飯食う時も
風呂入るときもトイレも寝るときも安心して出来ないでしょ
お前だってたまたまお袋がいたから助かったけど、ひとりったら死んでいたんだろ
じゃぁ人生終わりじゃねーか俺ならそんな人生で家族に迷惑かけるのなら自殺するか
殺してほしいね 絶対にかみさんや子供に重荷にになりたくない!」そう言い来たのだ
こいつがてんんかについて、だいぶ勘違いしてるのは間違ないないが
いいたい事は解る。俺だってかみさんや子供がいたら自殺か殺してほしいと考える
昔はそうだった。でも今は違う正しい知識と薬があればてんかんの80%は抑えられるのだ
それに新しいい薬も2016年発売された。より効果が高い薬が開発されてるのだ
さて、話を戻すと俺がカチーンと来たのはこの人の考えが標準だと言う事だ
大体の人が同じような知識の持ち主だろうと言う事が、カチーンと来たのだ
もちろん正しい知識を持ってる人は大勢いる、では自分はどうだったかというと
やはりこいつと同じだったと言う事だ、てんかんって痙攣をおこす謎の病気
その程度の知識しか持っていなかった、てんかんをもってる人がいる程度の事しか頭に無かったのだ

てんかんを起こして運転免許更新はどうなるだ!?

本来てんかんを起こした人は運転は出来ない
しかし電車がない沖縄、モノレールは通ってるが我が区分には入ってない
ほんらい乗ってはいけないのだか移動する手段がない
バスなんか小学生の時以来乗った事がない
乗り方も忘れた
それでしかたなくバイクを乗ってる馬鹿な俺
一応保険もはいってるが日ごろからてんかんを抑える
薬を飲むのを忘れるので気を付けいてる
今年免許更新なんだけどいったいどうすればいいのか
調べてみた一応無知式な状態で書くと
リハの時2年てんかんが無ければ検査を受ければまた乗れるみたいですよー(リハ担当
免許更新用紙にてんかんに〇をつけて病院で検査受ければいいんじゃないですか(リハ担
免許更新の用紙にてんかんにてんかんと書いて警察に行き病院で検査するんじゃないですか(リハ担
俺もう乗れないんじゃないかと思ってた
病院で精密検査を受けハンコもらえればまた乗れるようになる
精密検査を受けてんかんを抑える薬を飲み続ければ乗れるようになる
よく考えるとてんかんは100人に1人が掛かる可能性の病気
単純計算でも120万人がかかる可能性がある
120万人うちさらに100分んの1が掛かるってるとしても1万2千人が掛かってる
けして目ずらいしい病気じゃなく、誰にでも起こる病気なのだ
さて、話がずれたがこのてんかんを持ってる人が、免許更新するのにはどうするばいいのだろうか

■まずは適切な医療の元で発作の観察記録を行いましょう
■運転に支障が生じる恐れのある発作が「2年間ない事」
●運転に支障が生じる恐れのない発作
(単純部分発作(意識のある発作)などがある場合
■1年間以上の経過観察
■睡眠中に限定された補佐がある場合
●2年間以上経過観察

今後病状悪化の恐れがない場合{取得・更新可能」

以上調べて解った事は一度警察かてんかん相談電話 03-3232-3811 (平日)月・水・金曜日 13:15~17:00

条件がそろえば運転免許の取得が可能です。
以前は、「てんかん」という診断がついていると、全ての人が一律に免許を取得することができませんでした。2002年6月の道路交通法改正で、自動車等の安全な運転に支障があるかどうかは個別に判断されることになりました。
運転免許の取得が可能な条件は以下の通りです。
発作が過去5年間以内に起こったことがなく、医師が「今後発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
運転に支障をきたす発作が過去2年間以内に起こったことがなく、医師が「今後、x年程度であれば、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
医師が、1年間の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合(ただし上記2の発作が過去2年間以内に起こったことがないのが前提)
医師が2年間経過観察をした後「発作が睡眠中に限って起こっており、今後症状悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合
(「一定の病気に係る免許の可否等の運用基準」より抜粋)
簡単にまとめますと次のようになります。
てんかんのある人が運転免許を取得するためには、「運転に支障するおそれのある発作が2年間ないこと」 が条件です。薬の服用の有無は関係ありません。
なお、上記の条件のもとで、運転に支障するおそれのない発作(単純部分発作など)がある場合には1年間以上、睡眠中に限定された発作がある場合には2年間以上、経過観察し、今後、症状悪化のおそれがない場合には、取得可能です。
ただし、大型免許と第2種免許は取得できません。また、運転を職業とする仕事はおすすめできません。
免許取得の手続きは、新規・更新いずれの場合にも、以下の通りです。
免許申請に際して、てんかんの病気があることを申告する
主治医に診断書(公安委員会指定)を書いてもらう
診断書を公安委員会に提出して取得する
規則に則って、自主申告して免許を取得し、運転することは、社会の一員としての責任です。是非、守ってください。
詳しいご相談は、最寄りの警察署の運転免許窓口、運転免許センターにお問い合わせ下さい。

てんかんに吐血に背骨骨折

俺のてんかんの結果吐血ありと書いたが続きは
何と背骨骨折三か所もあった
それは俺があまりにも胸、お腹、背中、腰、足、つまり全身痛
だと、ずっと言っていたからじゃあ「MRIを撮ってみる?」っと
リハビリのT先生に聞かれ「お願いします」っと言って解った事なのだ
本当はMRIじゃなくて筋肉の量(体積)を撮ってみましょうかっと言われ
たのだが、俺があまりにも痛いと言っていたのでMRIを撮る事になった
看護士に呼ばれスタッフステーションに入るとPC前にT先生がいた
画面には背骨の画像が映し出されていた
先生が言った「ここと、ここ、ここも折れてる」
俺「えっ!」「本当ですか?」
T先生「うん」
俺「何故折れたんですか?」
T先生「解らない・・」
T先「ここに来た時打診をするの」
俺「打診って何ですか?」
T先「打診というのは背骨を指でトントンと軽く叩くの
だけどデパスさんは何の反応も示さなかったの」
俺「いつ折れたのか解らないって事ですか」
T先「うん」
T先「これで合致したわ!」
T先「ここに来る前から痛がってたでしょう」
俺「はい」
T先「身に覚えはないかしら、ぶつけたり、転んだとか」
俺「ぶつけたりも転んだ事もないです、転びそうになった事はありすけど
転んだ事は一度もないです」
T先「デパスさんは骨密度が年齢より少し低の、だから倒れる前に身に覚えはない?」
俺「身に覚えはないです ぶつけて事も 倒れて事もないです」
T先「そう・・」
俺「てんかんで倒れてた時に折れたのですか」
T先「多分・・」
俺「倒れ時椅子に座ってたのに折れるんですか」
T先「わからないいの・・」
T先「でも治りかけてるしここに来る前(リハビリ病棟)
には折れてるの 身に覚えはないの?」
俺「全然ありません」
俺「T先生手術とかするのですか」
T先「もう治りかけてるから手術は必要ないわ」
俺「手術の必要はないですか よかった・・」
T先「ただ また骨折するのが怖いからコルセットの着用を進めるは」
俺「コルセットは嫌いです 熱いしあの装着感が嫌いです」
T先「それはデパスさんの問題 私としてはコルセットの装着を進める
っていうか強制したいぐらい」
俺「考えてみます」
T先「考えるんじゃないわ 無理にでも付けるわよw」
俺「解りましたw やはり考えてみます」
俺「ありがとう御座いました」
そう言いスタッフステーション出て病室に戻った
病室に戻り考えてみた身に覚えは全くない
てんかんで倒れる前も後も全く身に覚えがないのだ
背中をぶつけた記憶もなければ、こけた記憶もない
リハビリ病棟に来る前には、点滴棒でこけそうになった事は何度かあった
しかしこけた事は一度もなかった、てんかんで倒れた時も左目がパンダだのように
まるで漫画のように真っ黒だったのが気になる点だ
この時左目に走った衝撃で背骨が折れた可能性は大いにありゆると思う
っと言うかその可能性しか考えられないのだ
背骨が三か所も折れていたそりゃ痛いわな(涙

今も骨折の後遺症で苦しんでます
朝は地獄です、まるで剣山で寝てるかのような痛みで目が覚めます
朝する事は薬を飲む前に何食べようかなっとこう思っています
我慢できないときはコルセットを着けてます
今も痛み止めのトラムセット 2錠 ロキソニン 1錠を飲んでこの記事を書いてます
本当に痛み止めを飲んでても激しく痛いです
神様助けて下さい、痛いです、痛いんです、どうかお願いです助けて下さい

明けまして、おめでとうございます_(_^_)_

ついに年が明けました
明けまして、おめでとうございます_(_^_)_
2018年も気合を入れて、ブログ運営をしようと思います
ついでにWardpressの使い方を勉強し
もっと見やすいサイトにしたいと思います。
俺にその力がないのは解ってますが
努力を怠らず、力を注ぎたいと思います。
テーマいじるのは正直怖いですがバックアップを
怠らずいけば、恐れるものはないと思うので
何事もトライの精神で、挑戦してみたいと思います
それに体が痛い事などを、書いてみたいと思います
闘病日記も面白い記事などを中心に、書いてみたいと思います
後は何といっても入院中知り合った、Yさんの事などを書いてみたいと思います
Yさんの記事は正直、人それぞれ感想など違うと思うのですが、結構面白い人だったので
病棟を移る1かっ月間の記事を書いてみたいと思います
後はPC自作講座などを開ければいいかなと思います
本年もよろしくお願いし申し上げます_(_^_)_

今年ももう・・

今年は色々な出来事があった
ADL障害(歩行障害)から奇跡的な復活を経て、もう一度立って歩けるようになった
今年も最後だと言う事で、その事を記事にしてみようと思う
俺はてんかんで倒れて、ADL障害になった
この事は入院治療計画書にも書かれてる
また、看護計画表にもADL障害と書かれてる
俺は去年12月に病気が治らない状態で退院っとなった
それから一か月実家でほぼ布団の中で過ごした
一日中布団の中で過ごすのがどれだけ苦痛か解るか
何もする気がなくスマホや、ラジオ、雑誌、テレビなど一切見る気や触る気がしなかった
もう、「二度と歩けない」その事で頭がいっぱいになった
自殺も考える程に追いつめられたのだ
もちろん俺は普通の人と違う 躁 うつなど
精神疾患を抱えてる、それに過去の人生を「悲惨」っと思われるほどの
人生を歩んできた、もう人生に疲れたのだ、だから情報から離れたかった
もう何もする気もなく、後は「自殺か死か」どちらかの選択しかなかった
もちろん家でも外でも歩行訓練を毎日親としたりしたが
内心もう諦めていたのだ、毎日もしかしたら歩けようになるんじゃないかと思い
努力した、俺の中には「もしかしたら」っという言葉が頭にあったからだ
この「一億分の1に自分自信を賭けてたのだ」
退院じにリハビリ先生から言われた事は「自殺はしないで」っという
約束したのだが、現実は死にたくなるような状態だった
先生には退院してから、専門のリハビリセンターに入りたいと言った
しかし、先生からは俺のような体は「99%受け入れない」っと言う言葉だった
それに生活するにはアパートに戻る事は100%無理だと言われた
アパートは階段があるからだが、去年宅地調査で自宅に戻ったとき
3階に行くのに30分も掛かり、しかも2人の作業療法士の手を借りてもだ
下りるのにも30分も掛かり先生から日実現的だと言われた
弟からはアパートを引き払い施設えへの入居を指示された
これは先生もその方がいいと言われたのだ
それが俺への人生の終焉を迎える言葉だったのだ
それが今年の1月になり目が覚めると俺は立ってションベンをしていた
目を疑った、「?????」立ってしてる!?
暗闇の中一人立ってションベンをしていたのだそして、ションベンを済まし
台所の電気を付け、台所のマッドの上を何度か往復してみた
歩ける! 歩いてる!!歩いてる俺!!!
信じられなかった、歩いてる!歩けるんだ!!信じられない!!!
ほんとに目を疑った、頬をつねったりもした、足を上げてみたら
今まで動かそうとしても、ほとんど動かなかった足が上がったのだ!!!
次は反対側の足を上げてみた、上がる!!!!!上がる足が上がる!!!!!
親の寝室まで歩いてみた、でも壁に手を付き一歩ずつ慎重に歩いた
寝室に着くころには俺は興奮してた、直ぐにでも親を叩き起こしたかった
親の寝顔をみたら、ふっと頭にある事を思いついたのだ
おじさんんが朝、俺の布団の前を通り外にションベンをしに行く
その時に「よっ!おじさん」っと言ったらどうなるか試したくなったのだ
時計を見ると朝の4時ごろだ、おじさんは大体朝の5時ごろ俺の目の前を通る
その時まで頑張って起きてる事にした(興奮して眠れなかったってのが事実だが)
この1時間4っか月間のリハビリを思い出していた
作業療法士が言った言葉「まだビビってますね」(歩く事に)
この言葉が頭をよぎったのだ「歩くことへの恐怖心」
それが自分には合ったなと思った
そうこうしてるうちに床音が聴こえた
寝たふりをし、おじさんが目の前を通ってションベンしに行くのが解ったので
起きておじさんが玄関のドアを開けるのを待っていた
ただ足が、じんじんし始めていたが・・
ドアを開けたおじさんに「よっ!おじさん」っと笑顔で挨拶した
その時のおじさんの顔と言ったら初めて見た顔だった
その事をルマンギル(方言でビックリする)顔と言ったら
今思い出しても顔が( *´艸`)こうなってしまう
「あい!デパスー」っと返事した声は震えていた
それから母親を起こしに向かうおじさんを、待つように言ったが聞く耳持たず
母親を叩き起こした、母親もルマンギル顔をしていた
母親は「デパス!」っと何度も言って泣いていた
俺は涙は出なかったが、自殺しないで良かったっと心の底から自分に感謝した。

以上をもって俺の奇跡の歩行を書いてみました
奇跡って本当にあるんですね
信じられません、俺には一生無い出来事と思ってました
特に最初立ってションベンをしていたなんて、ほんと映画化出来るんじゃないか
っと思うほどです。ご朗読ありがとう御座いました。
皆さん良いお年を(@^^)/~~~

闘病日記 てんかん1

せっかく何で闘病日記を改めて書いていきたいと思います
去年の9月、2~3日前から夜眠れず 眠剤を含むうつの薬や精神安定剤は飲んでいたか覚えていません
眠れなかったのであるの物語を考えてました3っ日間ずっとです。この考えていた内容はいずれ記事にいしたいと思います
昼ごろ母親から電話かがかかて来て、食事に行くから準備して起きなさいと言われ準備して下に降りて待ってました
スキ屋に到着、母親はチーズ丼ミニ、俺は鉄火丼かマグロ丼何故かと言うと小皿にワサビと醤油を入れた覚えがあるから
さぁ食べようと思ったら意識消失母親の話によると両手ガックンガックンしてたそうですは母親は「デパスーデパスー」
っと叫んでいたそうです。そして誰かが「頭を動かさない方がいいですよ」っと言ってくれたらしい
そして誰か多分店員がタオルを5~6枚持ってきて頭ん下に敷いてくれたらしいです
母親はずっと「デパスーデパスー」叫んでいたそうです
痙攣は母親の話では結構長い間あったと言ってました
そうこうしてるうちに救急隊員が到着、そのころには痙攣は収まており、救急隊員が後ろから付いてきて下さと言われたらしい
本当に信号を無視してついて来たと母屋が言っていた、救急車の中で2回目の痙攣、痙攣を止める多分ホストインは簡単には
持ち出せず、俺の症状も知らなかったので筋肉の緊張を抑えるジアゼパム(本来は精神科の薬なのだが)を合計20mg投与
舌禍(痙攣のためしたが喉の奥に引っ込む現象)があるため首を上げ呼吸しやすく酸素マスクを付けたと言っていた
病院に到着直ぐに処置室に入るがそこで3回目の痙攣おそらくホストインを使ったと思われる
痙攣は収まるがまた4回目の痙攣ここでもホストインを使ったと思われる ホストインは限界の1l全部を使用
ようやく痙攣が治まったその後緊急急でMRIに行く事になる 次回は続きを書いてみたいと思う