てんかんが起こした証明が必要

転換で免許更新する方法
いろいろ書いてきたが警察や運転免許センターなどに直接の問い合わせを行った
●てんかんんを起こして2年以上てんかんを起こさなけば〇
●あなたをてんかんですと、証明した人が必要〇
●あなたがてんかんを起こして2年間経過観察できる先生が必要〇
●経過観察できる先生はどの診療科でもOK
俺の場合救急の先生に病気はなんですか?って聞いたら「てんかんです」と
言われたのでこの救急の先生からてんかん証明書を貰う予定
2年間の経過観察は心療内科の先生が書いてくれそうなのでお願いした

これっててんかんじゃ

てんかん免許更新方法(実体験)
まずてんかんのようしをもらう精神疾患も足るのでこれも貰う
読むとてんかん人は指定された病院の内科神経科脳神内科または内科でてんかんを説明する
ここでは問診と脳の脳波を測定する本来なら内科か脳神経か脳神経外科診断用紙を付くってもらう
これで2年間てんかん起こさなければ、車やバイクまた運転をすることが出来るのである
今のところ正直てんかんは起こしていないが今後起こさないとは限らなない
これが経過観察である免許更新が来年だからそれまでにてんかんがお来なければいいのだが
神経内科の先生にに話したらこうゆううのは誰も引き受けたがらないっと言われた
そりゃそうだ何か事故でも起こせばその責任は担当医でもある心療内科の先先におまえちゃんと悔過観察していたのかと
言われるそうだそれで内科や脳神経外科脳神科かでも嫌がると聞かされた
先生に絶対に車やバイクを乗るときは注して乗ってくださいっと念を押された

次に機会にでもてんかんと思を思われる事が過去にあった事があったのでそれを近いうちに乗せたいんと思う

弟に家まで送ってもらってネットの確認をした、疲れてるのか薬を飲んだらそのまま寝てしまったようだ。
ここから地獄の始まりだった。メイン機、サブ機共に電源を入れていたのでサブ機はいいんだが、メイン機は電源を切るのを忘れた。
朝誰かが呼ぶ声がした、目を覚ますとしばらくはそのままでいたが起きようとしても全然起きる事ができない。
手を動かそうとするが手首だけは動くが、腕の部分は全然動かせない、足を動かそうとするが全然動かない足首だけは動く
何とか体を起こそうとするが全然起こす事ができない、仰向けだったので体を動かしたかったのだが何とか少しだけなら
動かせる事ができた、なぜ体が動かなくなったのだろうと考えていたら、4日のGWで体を使ったから体中が筋肉痛になったんだと思った。
体を何とか起こそうとするが全然起こす事ができないので、PCの椅子まで体を動かす事ができるならば椅子に座れるかも知れない
そう思って、少しづつ体を動かして椅子の前に着たが体を起こす事がなかなかできない、何とか体を起こす事ができたが体を支える
事ができなくて、ズルズルと体が倒れてしまった、そしてテレビのラックに思いいきり頭部を打ち付けた、幸い血は出てなかったみたいだが
もう一度体を起こそうとするが二度と起こすことはできなかった、体を起こさなければ椅子にも座る事はできないので椅子に座るのを諦めた。
とりあえず何とかまた元の位置まで戻ることができたがのどが渇いたので飲み物を飲みたいので、動かない体を寝たまま少しずつ
冷蔵庫の方に向かったが僅か3m来た所で力尽き諦めた、この僅か3m来るのに1時間以上掛かってると思うが寝たきりの体は時計さえも
見えない、そうこうしてるうちにトイレに行きたくなったしかし動かない体、しばらくは我慢していたが耐えきれなくなって
体をあお向けのままティッシュを何枚も取り、股間に置いて何とかズボンとパンツを脱いで小を出した、股間の辺りが濡れて暖かく
気持ち悪い、全部出る前に股間の間から濡れる感触があったのでまたティッシュをどけて、またティッシュをたくさん取り股間に
置いて小を出した、直ぐにまた股間が濡れる感触と生暖かい感触気持ち悪い感触があったのでこれで小は一応おえる事にした
本当はまだたくさん出そうだったがティッシュが残りが少なかったからあまり使いすぎも良くないと思ったからだ。
カーテンの間から見える青空を見ながら体がまともに動く事なんてとても恵まれてると思った、
頚椎骨折で首から下が麻痺におちいった人を見ると、それがどんなに辛い事か自分の身にふりかかって初めて分かった
五体満足に生んでくれた母親に感謝せねばならないと思った、まさか筋肉痛でそれを味わう事になるなんて夢にも思わなかったからだ
後左半身麻痺や右半身麻痺や、下半身麻痺がどんなに辛く悲しいか良く分かった、本当に良く分かったのだ
普段簡単にしてる動作すらできない事は辛くそれに当てる時間も凄く大事だと分かったのだ、足も腕も腹筋や背筋も動かない俺
トイレに行く事すらできず、飲み物も凄く飲みたいが飲む事もできない、横になって眠ろうとしたが電気も点けっぱなしだし
全然眠る事もできない、眠剤を含む薬を飲もうと体をくねくね動かしながら薬を取りに向かう、何とか薬を置いてある棚に着たが
薬を取る事ができない、何とか壁に体を支えて取ろうとするが全然足に力が入らなく体を起こす事すらできない
結構時間を掛けていろんな方法を試すが体が言う事を聞いてくれない、結局薬は諦めたまた元にいちに戻るが凄く疲れてしまった
何時間掛かったのか分からないがようやくカーテンの向こう側がうっすらと暗くなってる事に気がついた。ようやく日が暮れてきたのか・・
夜になり体は動かさなかったが気づいたら右足だけが伸ばしたり曲げたりできるようになった伸ばしたり曲げたりできるがそれで
体を起こそうとするが無理だった、左足は全然動かない、横になりながら考えたら今日は何にも食べてないなと思った
食欲があまり無いのでそれは構わないのだが、少しは体力回復には必要だと思ったがなんせこの体とてもご飯を炊く体ではない
仕方ないのでご飯は諦めた、しかしのどはカラカラだったので飲み物だけは飲みたかったがこれもできそうになかった。
日が暮れてどれくらいの時間が経ったのだろうか分からなかったがトイレに行きたくなた、しかしこの体でではトイレに向かうのは
むり、またさっきと同じように今度は曲げたり伸ばしたりできる右足で何とか縦になる事ができたので小をしようと思ったら
ズボンやパンツを下ろすのを忘れていた、またあお向けになりズボンとパンツを何とか下ろす事ができた、またさっきと同じように
右足を上手く使って縦になり大量のティッシュを取り股間に置い小をしたが今度は止まらなくなっていまい、ティッシュから溢れてしまった
ようやく止まったころにはパンツまで少し濡れていた、ティッシュも何枚も取り床を何とかふき取る事ができた、パンツが濡れてしまったので
凄く気持ち悪いがどうしようも無い、ぬれたパンツを穿いてズボンはどうしようか迷ったが余計気持ち悪いかも知れないと思い
ズボンは太ももまでしか上げなかった、また横になり考え事をする、気がついたらどうやら寝ていたようだ、カーテンの隙間から見える
空はまだ暗い体が動くか試したが全然動かせないおまけに右足だけは曲げたり伸ばしたりできてたのに、右足も動かなくなってしまった
正確に言うと右足を曲げようとすると右足の付け根が凄く痛いのだ、だから曲げたり伸ばしたりできない。また寝ようと思い目をつぶって
考え事をしていた、多分だが2~3時間は起きてたと思う、目をつぶってからかなりの時間が経ったと思うが同じ姿勢なので腰が痛くなってきた
何とか体を左右に動かすがあまり楽にならない、仕方ないので体を布団の端っこに当たるようにしてようやく腰が楽になった
そしてまた目をつぶり考え事をしていたらいつの間にか寝てしまったらしい、気がついたら夜が明けていた、体を動かすと少しだけ動かせる事が
できた、何とか体を起こす事もできた、椅子に上るのは大変だったが何とか椅子にも座る事ができた、ほんとに昨日とはまるで首から下を
他の人と入れ替えたような感じだった立つ事も試したら何とか立つ事もできる、しかし、足を曲げるとそのまま膝カックン状態で崩れ落ちてしまう
崩れ落ちた体をまた椅子まで持っていき椅子に座り、もう一度立ったこの状態で壁に持たれかかって、冷蔵庫の前までこれたとにかく今は
昨日から何も飲んでいないので飲み物が欲しいのだ、冷蔵庫を開けるとお茶が一口分だけ残っていたこの一口分が凄く上手いのだ本当に
体中に染み渡るぐらい上手かった。けどこれだけじゃ足りないので水道水を飲んだめいいっぱい飲んだ、そしてトイレにも行ってきたが
トイレは段差があるため要注意だった、注意深く小を出し終えるとゆっくりとトイレから出た、そしてまた椅子に座った。
ネットをしながら夕方になると体もずいぶんと動くようになってきたが、やはりたって歩くのは怖かったいつまたカックンっと足から崩れ落ちるのか
不安だったからだ、夕方昨日から薬を飲んでいない事に気がついた、薬を水で飲み、急遽思いついた痛み止めのイブプロフェン配合の頭痛薬を
思い出した、たしか箱には筋肉痛と書かれているはずだと思い出し、薬を取ろうとするがかなり高いところに救急箱があるためテーブルに
乗らなくては取る事ができない、仕方ないのでイブプロフェン配合の薬は諦めたが、ふっと頭に歯医者でもらった痛み止めを思い出した
普通の薬置き場に置いてるので直ぐに取る事はできる、さっそく飲んでみたが30分経っても1時間経っても効果は感じられなかった。
そのまま数時間が過ぎたころ食事を思い出したがとても料理を作れる状態じゃないので、冷蔵庫を探っても何も無かったので買い物にも行きたいが
この状態ではバイクは危険すぎると判断したので今日は何も食べない事にした。そして数時間したころ、寝る前の薬と夕飯の薬を同時に飲んだ
そして電気を小さくして床についた、目が覚めたら朝で体は少し痛いが前日よりさらに回復していた。これでいつもの体に戻った、やれやれだ。
昔田んぼで尻相撲で首から田んぼに刺さった哀れな頚椎骨折の元アナウンサーの事を、人事じゃないんだと思えるようになった
本当に首から下が麻痺すると生きていくのさえ支えが必要だと心から思った、俺も体が動かなかったとき救急車を呼ぼうと思ったくらいだから・・

 

てんかん持ち免許書切り替え実践編

警察に電話したり、運転免許センターに電話して
運転免許書の適性検査課で書類を貰い、これに記入してくれと
言われる。今どこの病院ん通ってますと聞かれたので
何々病院ですと答えた早速この寒い中バイクで
免許センターにきたのだが15分もまたされてしまった
結果ここでは書類を渡す事しかできませんっと会心の一撃
では前かよっていたRクリニックはどうでしょうかっと聞くと
最初てんかんで運ばれて入院していたのはどこですか?
っと聞かれたのでN徳州会クリニックですと答えたら
そこから診断書書いてもらってきてくださいっと言われた
そこでN徳洲会に行きそこで事情を話したらちょっと
待っていてください。と言われ20分も待たされたそこでは
受付の人が対応してくれたのだが20分は長すぎる(*_*;
そしたら今は精神通院はどこに行ってるのでしょうか?
っと聞かれたH愛病院ですっと答えたら、いまかよってる
病院じゃないとダメなんですよっととどめの一撃
詳しい事はH愛病院で聴いてくださいっと軽い返事
脳の病気なので脳神経外科から書いてもらうと思っていたが
もうどの課でもいいと思うようになってきた来週診察があるので
その時に先生に、はなしてくださいと言われる
俺が2年間の経過観察するのは先生なんですかっと聞いても
先生に直接話してくださいの一本口調完全になめられてます
今のままで適性検査を受けても問うると通ると思うがてんかんを
起こしてない証拠がないだから診断書を貰うのだが
めんどくさい事ばかりだ、みんな同じ道を渡ったと思うと気が滅入る
誰てもできるっと思う( *´艸`)
てんかん持ちがここへは何できたんです?っと突っ込まれえるから
気を付けてくれおれは1回あるその時には弟の車で着ました正々堂々正直に答えましたw
ほんとうは乗っちゃ行けないんだよそれは十分解ってるしかし足が無くなると
どこにでも出かけれないだからてんかん持ってても乗り続けるしかないんだ
断っておくが薬はちゃんと飲んでるそのうえでで運転してるのだ極力運転品用にはしてるんだが
バイクと車しか乗れないのを考えると本当に不便だ

てんかんの勘違い

今日飲み会でてんかんの話になったが、その中でてんかんについて思いっきり勘違いしてる人がいたので記事にしてみた
少し酒がはいっていたが(俺は飲めない&断酒)その人は「てんかんて遺伝するんだよな」っと言ってきたので
遺伝するのかしないのかまだ結論ははっきりしていないっと答えた
さらに頭にきたのはてんかん持ってると「社会的に抹殺されたのと同じだろ」っと言ってきたのだ
俺はこの「社会的に抹殺されてたのと同じだろ」の言葉にカチーンときた
しかしこの人の言い分を聞いてい見る事に興味を注がれた
「だって内地(本土)じゃ分かるけどここじゃもう働けないでしょ
車も免許書取り上げられ、これで人生半分終わったもおなじしゃねぇ
おまけに起きてる時いつ起きるのか分からないのじゃ飯食う時も
風呂入るときもトイレも寝るときも安心して出来ないでしょ
お前だってたまたまお袋がいたから助かったけど、ひとりったら死んでいたんだろ
じゃぁ人生終わりじゃねーか俺ならそんな人生で家族に迷惑かけるのなら自殺するか
殺してほしいね 絶対にかみさんや子供に重荷にになりたくない!」そう言い来たのだ
こいつがてんんかについて、だいぶ勘違いしてるのは間違ないないが
いいたい事は解る。俺だってかみさんや子供がいたら自殺か殺してほしいと考える
昔はそうだった。でも今は違う正しい知識と薬があればてんかんの80%は抑えられるのだ
それに新しいい薬も2016年発売された。より効果が高い薬が開発されてるのだ
さて、話を戻すと俺がカチーンと来たのはこの人の考えが標準だと言う事だ
大体の人が同じような知識の持ち主だろうと言う事が、カチーンと来たのだ
もちろん正しい知識を持ってる人は大勢いる、では自分はどうだったかというと
やはりこいつと同じだったと言う事だ、てんかんって痙攣をおこす謎の病気
その程度の知識しか持っていなかった、てんかんをもってる人がいる程度の事しか頭に無かったのだ

てんかんを起こして運転免許更新はどうなるだ!?

本来てんかんを起こした人は運転は出来ない
しかし電車がない沖縄、モノレールは通ってるが我が区分には入ってない
ほんらい乗ってはいけないのだか移動する手段がない
バスなんか小学生の時以来乗った事がない
乗り方も忘れた
それでしかたなくバイクを乗ってる馬鹿な俺
一応保険もはいってるが日ごろからてんかんを抑える
薬を飲むのを忘れるので気を付けいてる
今年免許更新なんだけどいったいどうすればいいのか
調べてみた一応無知式な状態で書くと
リハの時2年てんかんが無ければ検査を受ければまた乗れるみたいですよー(リハ担当
免許更新用紙にてんかんに〇をつけて病院で検査受ければいいんじゃないですか(リハ担
免許更新の用紙にてんかんにてんかんと書いて警察に行き病院で検査するんじゃないですか(リハ担
俺もう乗れないんじゃないかと思ってた
病院で精密検査を受けハンコもらえればまた乗れるようになる
精密検査を受けてんかんを抑える薬を飲み続ければ乗れるようになる
よく考えるとてんかんは100人に1人が掛かる可能性の病気
単純計算でも120万人がかかる可能性がある
120万人うちさらに100分んの1が掛かるってるとしても1万2千人が掛かってる
けして目ずらいしい病気じゃなく、誰にでも起こる病気なのだ
さて、話がずれたがこのてんかんを持ってる人が、免許更新するのにはどうするばいいのだろうか

■まずは適切な医療の元で発作の観察記録を行いましょう
■運転に支障が生じる恐れのある発作が「2年間ない事」
●運転に支障が生じる恐れのない発作
(単純部分発作(意識のある発作)などがある場合
■1年間以上の経過観察
■睡眠中に限定された補佐がある場合
●2年間以上経過観察

今後病状悪化の恐れがない場合{取得・更新可能」

以上調べて解った事は一度警察かてんかん相談電話 03-3232-3811 (平日)月・水・金曜日 13:15~17:00

条件がそろえば運転免許の取得が可能です。
以前は、「てんかん」という診断がついていると、全ての人が一律に免許を取得することができませんでした。2002年6月の道路交通法改正で、自動車等の安全な運転に支障があるかどうかは個別に判断されることになりました。
運転免許の取得が可能な条件は以下の通りです。
発作が過去5年間以内に起こったことがなく、医師が「今後発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
運転に支障をきたす発作が過去2年間以内に起こったことがなく、医師が「今後、x年程度であれば、発作が起こるおそれがない」旨の診断を行った場合
医師が、1年間の経過観察の後「発作が意識障害及び運動障害を伴わない単純部分発作に限られ、今後、症状の悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合(ただし上記2の発作が過去2年間以内に起こったことがないのが前提)
医師が2年間経過観察をした後「発作が睡眠中に限って起こっており、今後症状悪化のおそれがない」旨の診断を行った場合
(「一定の病気に係る免許の可否等の運用基準」より抜粋)
簡単にまとめますと次のようになります。
てんかんのある人が運転免許を取得するためには、「運転に支障するおそれのある発作が2年間ないこと」 が条件です。薬の服用の有無は関係ありません。
なお、上記の条件のもとで、運転に支障するおそれのない発作(単純部分発作など)がある場合には1年間以上、睡眠中に限定された発作がある場合には2年間以上、経過観察し、今後、症状悪化のおそれがない場合には、取得可能です。
ただし、大型免許と第2種免許は取得できません。また、運転を職業とする仕事はおすすめできません。
免許取得の手続きは、新規・更新いずれの場合にも、以下の通りです。
免許申請に際して、てんかんの病気があることを申告する
主治医に診断書(公安委員会指定)を書いてもらう
診断書を公安委員会に提出して取得する
規則に則って、自主申告して免許を取得し、運転することは、社会の一員としての責任です。是非、守ってください。
詳しいご相談は、最寄りの警察署の運転免許窓口、運転免許センターにお問い合わせ下さい。

てんかんに吐血に背骨骨折

俺のてんかんの結果吐血ありと書いたが続きは
何と背骨骨折三か所もあった
それは俺があまりにも胸、お腹、背中、腰、足、つまり全身痛
だと、ずっと言っていたからじゃあ「MRIを撮ってみる?」っと
リハビリのT先生に聞かれ「お願いします」っと言って解った事なのだ
本当はMRIじゃなくて筋肉の量(体積)を撮ってみましょうかっと言われ
たのだが、俺があまりにも痛いと言っていたのでMRIを撮る事になった
看護士に呼ばれスタッフステーションに入るとPC前にT先生がいた
画面には背骨の画像が映し出されていた
先生が言った「ここと、ここ、ここも折れてる」
俺「えっ!」「本当ですか?」
T先生「うん」
俺「何故折れたんですか?」
T先生「解らない・・」
T先「ここに来た時打診をするの」
俺「打診って何ですか?」
T先「打診というのは背骨を指でトントンと軽く叩くの
だけどデパスさんは何の反応も示さなかったの」
俺「いつ折れたのか解らないって事ですか」
T先「うん」
T先「これで合致したわ!」
T先「ここに来る前から痛がってたでしょう」
俺「はい」
T先「身に覚えはないかしら、ぶつけたり、転んだとか」
俺「ぶつけたりも転んだ事もないです、転びそうになった事はありすけど
転んだ事は一度もないです」
T先「デパスさんは骨密度が年齢より少し低の、だから倒れる前に身に覚えはない?」
俺「身に覚えはないです ぶつけて事も 倒れて事もないです」
T先「そう・・」
俺「てんかんで倒れてた時に折れたのですか」
T先「多分・・」
俺「倒れ時椅子に座ってたのに折れるんですか」
T先「わからないいの・・」
T先「でも治りかけてるしここに来る前(リハビリ病棟)
には折れてるの 身に覚えはないの?」
俺「全然ありません」
俺「T先生手術とかするのですか」
T先「もう治りかけてるから手術は必要ないわ」
俺「手術の必要はないですか よかった・・」
T先「ただ また骨折するのが怖いからコルセットの着用を進めるは」
俺「コルセットは嫌いです 熱いしあの装着感が嫌いです」
T先「それはデパスさんの問題 私としてはコルセットの装着を進める
っていうか強制したいぐらい」
俺「考えてみます」
T先「考えるんじゃないわ 無理にでも付けるわよw」
俺「解りましたw やはり考えてみます」
俺「ありがとう御座いました」
そう言いスタッフステーション出て病室に戻った
病室に戻り考えてみた身に覚えは全くない
てんかんで倒れる前も後も全く身に覚えがないのだ
背中をぶつけた記憶もなければ、こけた記憶もない
リハビリ病棟に来る前には、点滴棒でこけそうになった事は何度かあった
しかしこけた事は一度もなかった、てんかんで倒れた時も左目がパンダだのように
まるで漫画のように真っ黒だったのが気になる点だ
この時左目に走った衝撃で背骨が折れた可能性は大いにありゆると思う
っと言うかその可能性しか考えられないのだ
背骨が三か所も折れていたそりゃ痛いわな(涙

今も骨折の後遺症で苦しんでます
朝は地獄です、まるで剣山で寝てるかのような痛みで目が覚めます
朝する事は薬を飲む前に何食べようかなっとこう思っています
我慢できないときはコルセットを着けてます
今も痛み止めのトラムセット 2錠 ロキソニン 1錠を飲んでこの記事を書いてます
本当に痛み止めを飲んでても激しく痛いです
神様助けて下さい、痛いです、痛いんです、どうかお願いです助けて下さい

明けまして、おめでとうございます_(_^_)_

ついに年が明けました
明けまして、おめでとうございます_(_^_)_
2018年も気合を入れて、ブログ運営をしようと思います
ついでにWardpressの使い方を勉強し
もっと見やすいサイトにしたいと思います。
俺にその力がないのは解ってますが
努力を怠らず、力を注ぎたいと思います。
テーマいじるのは正直怖いですがバックアップを
怠らずいけば、恐れるものはないと思うので
何事もトライの精神で、挑戦してみたいと思います
それに体が痛い事などを、書いてみたいと思います
闘病日記も面白い記事などを中心に、書いてみたいと思います
後は何といっても入院中知り合った、Yさんの事などを書いてみたいと思います
Yさんの記事は正直、人それぞれ感想など違うと思うのですが、結構面白い人だったので
病棟を移る1かっ月間の記事を書いてみたいと思います
後はPC自作講座などを開ければいいかなと思います
本年もよろしくお願いし申し上げます_(_^_)_

今年ももう・・

今年は色々な出来事があった
ADL障害(歩行障害)から奇跡的な復活を経て、もう一度立って歩けるようになった
今年も最後だと言う事で、その事を記事にしてみようと思う
俺はてんかんで倒れて、ADL障害になった
この事は入院治療計画書にも書かれてる
また、看護計画表にもADL障害と書かれてる
俺は去年12月に病気が治らない状態で退院っとなった
それから一か月実家でほぼ布団の中で過ごした
一日中布団の中で過ごすのがどれだけ苦痛か解るか
何もする気がなくスマホや、ラジオ、雑誌、テレビなど一切見る気や触る気がしなかった
もう、「二度と歩けない」その事で頭がいっぱいになった
自殺も考える程に追いつめられたのだ
もちろん俺は普通の人と違う 躁 うつなど
精神疾患を抱えてる、それに過去の人生を「悲惨」っと思われるほどの
人生を歩んできた、もう人生に疲れたのだ、だから情報から離れたかった
もう何もする気もなく、後は「自殺か死か」どちらかの選択しかなかった
もちろん家でも外でも歩行訓練を毎日親としたりしたが
内心もう諦めていたのだ、毎日もしかしたら歩けようになるんじゃないかと思い
努力した、俺の中には「もしかしたら」っという言葉が頭にあったからだ
この「一億分の1に自分自信を賭けてたのだ」
退院じにリハビリ先生から言われた事は「自殺はしないで」っという
約束したのだが、現実は死にたくなるような状態だった
先生には退院してから、専門のリハビリセンターに入りたいと言った
しかし、先生からは俺のような体は「99%受け入れない」っと言う言葉だった
それに生活するにはアパートに戻る事は100%無理だと言われた
アパートは階段があるからだが、去年宅地調査で自宅に戻ったとき
3階に行くのに30分も掛かり、しかも2人の作業療法士の手を借りてもだ
下りるのにも30分も掛かり先生から日実現的だと言われた
弟からはアパートを引き払い施設えへの入居を指示された
これは先生もその方がいいと言われたのだ
それが俺への人生の終焉を迎える言葉だったのだ
それが今年の1月になり目が覚めると俺は立ってションベンをしていた
目を疑った、「?????」立ってしてる!?
暗闇の中一人立ってションベンをしていたのだそして、ションベンを済まし
台所の電気を付け、台所のマッドの上を何度か往復してみた
歩ける! 歩いてる!!歩いてる俺!!!
信じられなかった、歩いてる!歩けるんだ!!信じられない!!!
ほんとに目を疑った、頬をつねったりもした、足を上げてみたら
今まで動かそうとしても、ほとんど動かなかった足が上がったのだ!!!
次は反対側の足を上げてみた、上がる!!!!!上がる足が上がる!!!!!
親の寝室まで歩いてみた、でも壁に手を付き一歩ずつ慎重に歩いた
寝室に着くころには俺は興奮してた、直ぐにでも親を叩き起こしたかった
親の寝顔をみたら、ふっと頭にある事を思いついたのだ
おじさんんが朝、俺の布団の前を通り外にションベンをしに行く
その時に「よっ!おじさん」っと言ったらどうなるか試したくなったのだ
時計を見ると朝の4時ごろだ、おじさんは大体朝の5時ごろ俺の目の前を通る
その時まで頑張って起きてる事にした(興奮して眠れなかったってのが事実だが)
この1時間4っか月間のリハビリを思い出していた
作業療法士が言った言葉「まだビビってますね」(歩く事に)
この言葉が頭をよぎったのだ「歩くことへの恐怖心」
それが自分には合ったなと思った
そうこうしてるうちに床音が聴こえた
寝たふりをし、おじさんが目の前を通ってションベンしに行くのが解ったので
起きておじさんが玄関のドアを開けるのを待っていた
ただ足が、じんじんし始めていたが・・
ドアを開けたおじさんに「よっ!おじさん」っと笑顔で挨拶した
その時のおじさんの顔と言ったら初めて見た顔だった
その事をルマンギル(方言でビックリする)顔と言ったら
今思い出しても顔が( *´艸`)こうなってしまう
「あい!デパスー」っと返事した声は震えていた
それから母親を起こしに向かうおじさんを、待つように言ったが聞く耳持たず
母親を叩き起こした、母親もルマンギル顔をしていた
母親は「デパス!」っと何度も言って泣いていた
俺は涙は出なかったが、自殺しないで良かったっと心の底から自分に感謝した。

以上をもって俺の奇跡の歩行を書いてみました
奇跡って本当にあるんですね
信じられません、俺には一生無い出来事と思ってました
特に最初立ってションベンをしていたなんて、ほんと映画化出来るんじゃないか
っと思うほどです。ご朗読ありがとう御座いました。
皆さん良いお年を(@^^)/~~~

闘病日記 てんかん1

せっかく何で闘病日記を改めて書いていきたいと思います
去年の9月、2~3日前から夜眠れず 眠剤を含むうつの薬や精神安定剤は飲んでいたか覚えていません
眠れなかったのであるの物語を考えてました3っ日間ずっとです。この考えていた内容はいずれ記事にいしたいと思います
昼ごろ母親から電話かがかかて来て、食事に行くから準備して起きなさいと言われ準備して下に降りて待ってました
スキ屋に到着、母親はチーズ丼ミニ、俺は鉄火丼かマグロ丼何故かと言うと小皿にワサビと醤油を入れた覚えがあるから
さぁ食べようと思ったら意識消失母親の話によると両手ガックンガックンしてたそうですは母親は「デパスーデパスー」
っと叫んでいたそうです。そして誰かが「頭を動かさない方がいいですよ」っと言ってくれたらしい
そして誰か多分店員がタオルを5~6枚持ってきて頭ん下に敷いてくれたらしいです
母親はずっと「デパスーデパスー」叫んでいたそうです
痙攣は母親の話では結構長い間あったと言ってました
そうこうしてるうちに救急隊員が到着、そのころには痙攣は収まており、救急隊員が後ろから付いてきて下さと言われたらしい
本当に信号を無視してついて来たと母屋が言っていた、救急車の中で2回目の痙攣、痙攣を止める多分ホストインは簡単には
持ち出せず、俺の症状も知らなかったので筋肉の緊張を抑えるジアゼパム(本来は精神科の薬なのだが)を合計20mg投与
舌禍(痙攣のためしたが喉の奥に引っ込む現象)があるため首を上げ呼吸しやすく酸素マスクを付けたと言っていた
病院に到着直ぐに処置室に入るがそこで3回目の痙攣おそらくホストインを使ったと思われる
痙攣は収まるがまた4回目の痙攣ここでもホストインを使ったと思われる ホストインは限界の1l全部を使用
ようやく痙攣が治まったその後緊急急でMRIに行く事になる 次回は続きを書いてみたいと思う