今年ももう・・

今年は色々な出来事があった
ADL障害(歩行障害)から奇跡的な復活を経て、もう一度立って歩けるようになった
今年も最後だと言う事で、その事を記事にしてみようと思う
俺はてんかんで倒れて、ADL障害になった
この事は入院治療計画書にも書かれてる
また、看護計画表にもADL障害と書かれてる
俺は去年12月に病気が治らない状態で退院っとなった
それから一か月実家でほぼ布団の中で過ごした
一日中布団の中で過ごすのがどれだけ苦痛か解るか
何もする気がなくスマホや、ラジオ、雑誌、テレビなど一切見る気や触る気がしなかった
もう、「二度と歩けない」その事で頭がいっぱいになった
自殺も考える程に追いつめられたのだ
もちろん俺は普通の人と違う 躁 うつなど
精神疾患を抱えてる、それに過去の人生を「悲惨」っと思われるほどの
人生を歩んできた、もう人生に疲れたのだ、だから情報から離れたかった
もう何もする気もなく、後は「自殺か死か」どちらかの選択しかなかった
もちろん家でも外でも歩行訓練を毎日親としたりしたが
内心もう諦めていたのだ、毎日もしかしたら歩けようになるんじゃないかと思い
努力した、俺の中には「もしかしたら」っという言葉が頭にあったからだ
この「一億分の1に自分自信を賭けてたのだ」
退院じにリハビリ先生から言われた事は「自殺はしないで」っという
約束したのだが、現実は死にたくなるような状態だった
先生には退院してから、専門のリハビリセンターに入りたいと言った
しかし、先生からは俺のような体は「99%受け入れない」っと言う言葉だった
それに生活するにはアパートに戻る事は100%無理だと言われた
アパートは階段があるからだが、去年宅地調査で自宅に戻ったとき
3階に行くのに30分も掛かり、しかも2人の作業療法士の手を借りてもだ
下りるのにも30分も掛かり先生から日実現的だと言われた
弟からはアパートを引き払い施設えへの入居を指示された
これは先生もその方がいいと言われたのだ
それが俺への人生の終焉を迎える言葉だったのだ
それが今年の1月になり目が覚めると俺は立ってションベンをしていた
目を疑った、「?????」立ってしてる!?
暗闇の中一人立ってションベンをしていたのだそして、ションベンを済まし
台所の電気を付け、台所のマッドの上を何度か往復してみた
歩ける! 歩いてる!!歩いてる俺!!!
信じられなかった、歩いてる!歩けるんだ!!信じられない!!!
ほんとに目を疑った、頬をつねったりもした、足を上げてみたら
今まで動かそうとしても、ほとんど動かなかった足が上がったのだ!!!
次は反対側の足を上げてみた、上がる!!!!!上がる足が上がる!!!!!
親の寝室まで歩いてみた、でも壁に手を付き一歩ずつ慎重に歩いた
寝室に着くころには俺は興奮してた、直ぐにでも親を叩き起こしたかった
親の寝顔をみたら、ふっと頭にある事を思いついたのだ
おじさんんが朝、俺の布団の前を通り外にションベンをしに行く
その時に「よっ!おじさん」っと言ったらどうなるか試したくなったのだ
時計を見ると朝の4時ごろだ、おじさんは大体朝の5時ごろ俺の目の前を通る
その時まで頑張って起きてる事にした(興奮して眠れなかったってのが事実だが)
この1時間4っか月間のリハビリを思い出していた
作業療法士が言った言葉「まだビビってますね」(歩く事に)
この言葉が頭をよぎったのだ「歩くことへの恐怖心」
それが自分には合ったなと思った
そうこうしてるうちに床音が聴こえた
寝たふりをし、おじさんが目の前を通ってションベンしに行くのが解ったので
起きておじさんが玄関のドアを開けるのを待っていた
ただ足が、じんじんし始めていたが・・
ドアを開けたおじさんに「よっ!おじさん」っと笑顔で挨拶した
その時のおじさんの顔と言ったら初めて見た顔だった
その事をルマンギル(方言でビックリする)顔と言ったら
今思い出しても顔が( *´艸`)こうなってしまう
「あい!デパスー」っと返事した声は震えていた
それから母親を起こしに向かうおじさんを、待つように言ったが聞く耳持たず
母親を叩き起こした、母親もルマンギル顔をしていた
母親は「デパス!」っと何度も言って泣いていた
俺は涙は出なかったが、自殺しないで良かったっと心の底から自分に感謝した。

以上をもって俺の奇跡の歩行を書いてみました
奇跡って本当にあるんですね
信じられません、俺には一生無い出来事と思ってました
特に最初立ってションベンをしていたなんて、ほんと映画化出来るんじゃないか
っと思うほどです。ご朗読ありがとう御座いました。
皆さん良いお年を(@^^)/~~~

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